こんにちは。自分でも認識するくらい世に言う『いい人』なJADEです。
以前『 真面目な人は損をする そんな人生から脱却したいアナタへ』と言う記事を書かせていただいたところ、まぁ~~~読んでもらえること読んでもらえること。
真面目な人は損をする そんな人生から脱却したいアナタへ
「真面目に苦しんでいる人っていっぱいいるのね~」とすごく共感を覚えながら過ごさせていいただいています。
さて、今回のテーマは『いい人』
こちらも真面目で苦しんでいる人と同じぐらい、いい人で損したり苦しんだりしている人がおられるのではないでしょうか?
ま、なんでこんなことを書こうかと思ったかというと…わたしも『いい人』やっちゃってるからですね。ハイ。
いい人やっちゃってる…なんて表現するくらいなので、こちらもま~~~損してた。
うまいこと人に利用?されたり、ずさんに扱われたりして何度「いい人辞めたい」と思ったことか…。
何度「自分は損な性分だな」と泣いたか…。
ここで一つ注目してほしいのは、わたしが過去形で話しているってことです。
そう、わたしはいい人で損をするのを辞めました。
どうやって損するいい人を辞めたのかが気になるって?
それは簡単!
”ある一言”を自分に常に投げかけるようにしただけなんです。
今回はわたしが『いい人で損をするのを辞められたとっておきの方法』をご紹介します。
この記事のもくじ
いい人であることは悪いことではない
『いい人で損するのを脱却する方法』をご紹介する前に、そもそも『いい人=悪いことではない』ということを書かせてください。
これめっちゃ大事。
いつの間にかいい人という言葉はどこか含みのあるネガティブな意味をはらむようになってしまいましたが、いい人というのは言うまでもなく良い人なんです。
言葉本来の意味はポジティブですよね。
ところが、いつの間にか『いい人=都合がいい人』とか『いい人=断れない人』とか、ニコニコ笑って人にうまく利用されて消耗する人…みたいなイメージがついてしまった。
でも、断じて言います。いい人というのは長所です。
人のことを考えたり、思いやりを持って接したり、人を傷つけないように配慮したりしているからいい人になれるわけで、それらはどれをとっても素晴らしい個性だと思います。
「いい人」か「悪い人」のどちらか一人を無人島に連れていけますと言われたら、おそらく誰もかれもがいい人を連れていくというでしょう。
信頼でき、心を許せて、思いやりを持ってくれるそんないい人は間違いなく善です。
だから、いい人で疲れてしまっている皆さん!
『いい人』は自分の愛すべき点なんだということをまずはしっかり自覚してください。
いい人であることが問題ではなく、Noと言えないのが問題。
さて、ここからが本題。
本来賞賛すべきはずの長所『いい人』が、何で自分をこんなに疲れさせるのか?って話です。
これねわたしはようやく気付きましたが、そもそも事の問題は『いい人』というところにはなかったんですよ。
問題はいい人ではなくて、『嫌』『No』が言えないことだったんです。
いい人の皆さんは得てして「断りにくい」タイプなんではないのでしょうか?
心の中で嫌だと思っても、笑って一生懸命合わせてしまう
ちょっと余談になりますが、わたしのいい人で損した数々の経験の一つを紹介してもいいでしょうか?
これはちょっと前の話なんですけどね。
友達のKさんに「あなたの住む町にゴルフしにいくから、終わったらどこかで会わない?」と誘われました。
わたしにとっては大切な友人なので、勿論答えはOK!
お誘い受けてからひと月後の土曜日の夕方4時に会おうということになりました。(日時は相手が指定)
わたしは「Kさんが折角来てくれるんだから」とひと月前からカレンダーに赤丸を書いて、夫に事情を話して子守をお願いし、彼女に手渡す手土産とカードまで準備して万全の体制を整えて待っていたんです。
ところが…前日の夕方になって「明日どうする?午前中にしようか?」とメールが届いたんですね。
「え?おいおい、お前さんが夕方と言ったんじゃないのか?」と心の中で疑問に思いながらも、数日前にKさんの娘さんが熱を出したという話も聞いていたので
「しかたないな。娘さんのこともあるだろうし、午前中に変更してあげよう」と、相手が元々夕方を指定していたことはあえて触れずに(やさしいやろ?)「OK」と対応しました。
でもね、わたしは一応お母さんで奥さんだから、友達と遊びに行こうと思ったらそれなりに色々準備が大変なんです。
例えばお昼ご飯の時間をまたぐなら、家族のお昼ご飯は作り置きしてでかけなきゃならないとか…。
子供の勉強を見る約束していたらその時間をずらすとかね。
だから、突然の予定変更にスケジュールは完全に狂ってしまったんですよ。
お陰で、朝早起きして家事を済ませたり、夫に頭を下げて予定時間変更を伝えたり、夕方遊びに行きたがっていた子供に頭を下げて勉強を見る予定を夕方に変えてもらったりと…相手の事情に合わせて色々調整する羽目になってしまったわけ。
でも、いい人のわたしは別におくびにも出さずに急な予定変更にも対応しましたとも。
だって、相手もね、子供さんいたり、事情があったり、普段色んな事に悩んでることとかも知ってるからさ。
わたしぐらい合わせて対応してやらなくてはかわいそうじゃないか!とか思っちゃう訳です。
ところが…翌日、つまり会おうといっていた当日の朝ですよ。
相手から電話がきて「ゴメン、今日は無理だ。気持ちが落ち込んで会う気になれない。」との一言。
わたしの住む町には来るけど、わたしには会わずにゴルフ(趣味)だけやって帰るというんです。
オイ!
自分の好きなことはするけど、自分から誘った相手には気分が乗らないから会いたくないってどういうことだ?
と、心の中でかなりカチーンときたものの…
いい人のわたしは
「あ、そうか。わかったよ~気にしないで~、じゃあ次の機会にね」
といって終わり。
相手は何回か軽い言い方で「ごめんね~」と言ってたけど…
なんか、自分の苦労も気遣いも全部簡単に踏みにじられた気がして、相手のことをちょっと嫌いになってしまいました。
その後Kさんはゴルフのグリーンから写真を何枚も送ってきて、『連れてきてあげたい!』とか言ってみたり(連れてきたいくらい俺が好きだったら、小一時間のお茶位できただろうが!!!!!)
まー、言ったら全く人の気持ちなんてわかってない行動をとってきております。
そんな写真に「いいねー」と心と真逆の発言をして合わせているわたし。
思い返せば、彼女に過去3回以上誘われ→ドタキャンが続いていることにふと気づきました。
その瞬間、わたしはこう思いましたね。
「いい人して自分の価値を下げてるな~」
「いい人じゃなくて、都合のいい人に成り下がってんな~」
嫌だと思うことをNoといっても、いい人ではいられる
恐らくわたしの体験談をはたから見ている皆さんは、わたしの問題点に気付いたんではないでしょうか?
わたしが思うに、わたしの問題点は自分のことを雑に扱う人に対して笑って受け入れてることだったと思っています。
友達に会おうと言われて相手を想って色々準備したり、人の事情を考えて対応できるところは対応しようとするところは、相手が違えば別に問題にはならなかったはずです。
現に自分以外の人がそういう行動のとれる人だったら、わたしはその人のことを優しいなとか、思いやりがあるなと思うでしょう。
問題は相手が自分に対して礼儀を欠いた行動に出たときに、それはおかしいと言わずに許容して、そのくせ腹立たしいと内心で思っていることだと思います。
別にそこで「ふざけんな」まではいかなくても、「わたしだって一生懸命努力してきたのだから、そちらも約束を守る努力をしてほしい」くらいの一言いうくらいは許されると思うし、言ったところで別にいい人であることには変わりはないんです。
いい人でいることと、都合いい人でいることは全然違いますよね。
わたしは完全に都合いい人になってますよね。
厳しい様に聞こえますが、恐らく多くの『いい人』でいることに苦しんでおられる皆さんは
いい人と都合いい人をはき違えているだけなんですね。
いい人=思慮深く、誠実で、思いやりのある人
都合いい人=NOが言えない人
全然違うんです。
だから、Noと言っても別にいい人を辞めることにはならないんです。
ここ、勘違いが起きやすい所だと思います。
ただの『いい人』は疲弊しない
よく「いい人やめたい」という言葉を見聞きしますけど、先述の理由からもいい人自体は辞める必要はないんです。
繰り返しになりますが、いい人であること自体は長所であり素晴らしい個性のはずですから。
肝心なのは、思いやりや思慮深さを保ったまま、自分の価値を下げる様な扱い・物事に対してはっきりとNOということ。
さすれば、『いい人って疲れる』とか『いい人損するから辞めたい…』と悩む必要は無くなるのです。
与えるだけでは疲れてしまうのは当然です。
自分が与えたら、ちゃんと相手も精一杯返してくれる、これって大事なことだと思います。
自分に対して敬意ある対応をしてくれる人、場所を求めることは決して悪いことではないのです。
都合いい人を脱却する為に唱えたい『人生は一度きり』という言葉
さて!ここからが本題の『いい人で損をするのをやめる方法』のご紹介になります。
これはあくまでわたしが自分を変えた方法にはなります。
全ての人に一律でこの方法が向いているか?といえば恐らく人に寄りけりなんでしょうが、お友達にもアドバイスしたりすると(アドバイスなんておこがましいですが)結構みんなから『NOというのに気持ちが楽になったわ』と言っていただけるので、ある程度効果はあるのではないか?と思います。
お金がかかるわけでも、特別な修行がいるわけでもないので、試してみて損はないんではないかな?
良ければ皆さんもトライしてみてください♪
モヤモヤしたら『人生は一度きりだ』と唱えてみる
ズバリ、わたしが都合のいい人を辞めるためにしたことは
モヤモヤ~っとした時に『人生は一度きりだ』ということを思い出すということ。
たったこれだけです(^^)
先ほどお話したKさんの一件も、この方法ですっきりしました。
「自分の人生は一度きりなんだ。短い人生、わたしのことをこんな風に扱う人に時間と体力を消耗する必要性があるのか?」
「自分の一度きりの人生の貴重な時間を割くだけの価値が、この人(事象)にあるのか?」
ということを考えるようになりました。
普段何となく生きていると、自分の人生なんて無限大に時間が広がっているような錯覚に陥ります。
でも実際のところ人生はそんなには長くないんです。
例えばわたしの場合、今36歳です。
うまく行って80歳くらいまで生きたとしましょう。
でも、そのうち元気に物事を楽しめる時期と言うのは精々長くて70歳前後くらいなのかな?と仮定します。
自分の元気な時間は残り何日か計算してみると、(70歳-36歳)×365日=12,410日になります。
たった12410日です。
もしかすると、70歳よりもずーっと前に動けないような病気になったり、事故に遭ったりするかもしれない。
一度きりしかない人生の残りの日数なんて、実は想像するよりもずっと短いんです。
こうやって自分の人生の時間を数値化してみると、今日一日の重さがぐっと増すと思います。(是非皆さんも計算してみてください)
希少な一日を、自分のことを無下に扱う対象に費やす意味があるのでしょうか?
そう考えると、今自分の目の前にある『自分のことを都合よく扱う対象』の価値が見えてくると思います。
モヤモヤしている場合大概の対象はそんな価値はないと判断できる対象だということがわかってくるんですね。
一度きりの人生を大切にするためにもNOを。無理なら積極的なフェードアウトを
自分を消耗してまで付き合うべき対象ではないとわかったら、もう答えは簡単。
NOと言うまでです。
だがしかし!!!!!!
先述の通り、いい人と言うのは得てしてNOと言えないという弱点がある。
わかっていますわかっています。あたしもそーーなんだよ~~~(涙)
先ほども書いた通り、このNOと言えない性格が、いい人=損をする と勘違いしてしまう原因なわけです。
やっぱり人を傷つけるのは怖いよね。
人に嫌われたくないよね。
それは悪いことではないと思います。
でも、だからと言って自分の価値を下げてまで人に付き合う必要もないわけで。
だから、結局のところ、厳しい言い方をすれば『自分を消耗する相手との付き合いは切り捨てる』のが一番、相手も自分も傷つかずにすむ方法なのではないかな?と思います。
勿論言えるのならはっきりと『NO!嫌だ!』と言えば良いと思います。
それもまた悪いことではないですし、繰り返しになりますが拒否したとていい人という長所を失うわけではありませんしね。
ただ、言えないのであれば無理して言わないでも、フェードアウトするという道を選ぶのもありだと思う。
実は手段は重要ではなく、切り捨てるか切り捨てないかの判断・決断をすることが大事だと感じています。
自分を消耗するならそれ相応の対価があるか?を考える
そうとはいっても、会社とか家族とか、長い付き合いの知り合いとか…自分を都合よく扱う対象から簡単には離れられない場合もあるはずです。
もし、そういう場合は『自分の短い人生の大切な一日を相手に与えるだけの対価が相手にはあるか?』という、ちょっとずるい考え方を持って相手を分析してみましょう。
『気が合わない、自分勝手な家族だが、愛情は与えてくれる。』とか
『ほんと都合よく扱われるけどお給料は貰っている』とか
『いつもはすごく雑に扱われるけど、困っているときは助けてくれる』とか。
生きてく上で必要なことを相手が与えてくれるのか?
自分を消耗してでも付き合う利点が相手には存在するか?
という面をじっくりと考えてみます。
もし、対象の中に自分にとって利になる点があるのであれば、さらにその利点に対して自分の人生の希少な一日を支払うだけの価値があるか?を考えてみてください。
ポイントとしては、自分のことを都合よく扱う対象、雑に扱う対象が与えてくれるものに対して評価をするというところです。
こういう言い方をするとすごくずる賢い人間の様に見えて嫌な気持ちになる方もおられるかな?と思いますけど、ここは一歩冷静になって相手の利点を見てみてください。
そうすると不思議なことに、心の中での自分の地位が高まってくるんですね。
言い方悪いですが『わたしの大事な人生を使わしてあげる』という気持ちになってくる。=自己肯定力が上がってくる んです。
上から目線ですごくヤな奴になった気もしますが、それは違う。
自分を大事にして自分の価値を認識することと、思いあがった自己中になることは全然違います。
この過程で大切なのは『自分の価値を正しく認識すること』です。
いい人の仮面の下に隠れて、自分を卑下して扱うことを辞めるのにはかなり重要なことです。
もし、そこまで考えても相手は自分を消耗させるだけだという結論に至ったら、思い切ってかかわりを減らすか辞めてしまう。
どうしてもできないのならば、利点の恩恵を預かるためにかかわり続ける対象であると割り切って付き合うようにする。
すると、何かまた都合のいい扱いをした受けたとしても傷つかないし、不必要に相手に合わせ尽くして消耗する気が失せてきます。
結果、自然と都合のいい人としてふるまおうとしなくなります。
自分の大切な人生は自分を丁寧に扱ってくれる対象に捧げよう
同じことの繰り返しになりますが、
いい人=都合のいい人 ではありません。
いい人を辞める必要はありません。
人に尽くしたり、優しくしたり、思いやりをもって接する自分は認め愛してあげるべきです。
ただ、自分自身の人生を捧げる相手、対象を選ぶことが大切というだけです。
恐らく『いい人であること』につかれている皆さんなら、誰が・何が自分を消耗させているか?ということはわかっていると思います。
結局、自分が人に与える量が多すぎて疲れ果てている訳ですから、需要と供給が見合わない愛情・親切の帳尻を合わせてやればいいだけです。
それがうまくできないから困っているのでしょうから、そんな時は是非先ほどご紹介した
『自分の人生は一度きりなんだ』という言葉を何度も唱えてみてください。
大切な今日と言う一日を捧げるだけの価値があるのか?
そうまでして都合のいい人でいたいのか?
を自分に問うてみてください。
残念なことですが、『都合のいい人でいるのがしんどい』と自分が悩んでいることを、モヤモヤする人・対象に言わないで察してもらうことはできません。
黙っていてはわかってもらえません。
自分自身の価値を自分自身で理解し自分を守るしかないのです。
無理なことをNOと言った途端に非難するような対象には、自分の人生の大事な時間を与えてあげる価値が無いのです。
もし、相手があなたのことを大切に思うのならば、NOと言われた時・距離を置いた付き合い方をされた時にちゃんとあなたのことを追いかけてきてくれるはずです。
自分を大切にするためにも、時に振り払う勇気は大事だと思います。
月並みですが、追いかけてこない相手はそれだけの対象だったということですね。
悔しさも残りますが、自分を無駄に消耗しないで済んだと思って諦められるようにもなるはずです。
大丈夫。
この記事を読んでくださっている皆さんの素晴らしい財産である『いい人』を、ちゃんと評価して相応に扱ってくれる対象は必ずいます。
少なくともわたしは、『いい人でいること』に疲れすぎてしまうほど頑張っているあなたは本当に素晴らしい人だと思っています(^^)
おわりに
長いながーーーーーい話にお付き合いいただきありがとうございました。
よくぞここまで読んでくれた!やっぱりあなたはいい人です。笑
最後に、あのドタキャンのKさんとのその後をご報告しておこうと思います。気になるでしょ?え?気にならないって?笑
彼女とはフェードアウトしました。
彼女には良い所も沢山あるけれど、こうも何回も繰り返しご都合主義で関わられると無理だな~と思いました。
わたしの辛い時期を支えてくれたりもしたんです。彼女は。
だからこそ、結構振り回されても辛抱強く理解を示してきました。
でも、わたしも彼女のしんどい時期を全力でサポートしてきたから。
恩はあれども、相手も自分に対して恩があるのは間違いないです。
自分の果たすべきことは彼女にはしたと納得して、自分から連絡を取らなくなりました。
大事な人生を消耗して、家族まで振り回して関わる相手ではないと判断しました。
何度かラインをしてきますが、既読スルー。
それで相手が異変に気付いて自分の行動を省みるのであれば、それは感謝すべきことなので付き合いを再開するかもしれません。
でも、たとえ再び交流を持ったとしても、恐らくわたし自身も前と同じようには関わらないでしょう。
わたしが自分自身の人生の価値に気付いたからです。
そう、相手がどうこうじゃないんですね。
自分自身が、自分の時間と存在の重要性に気付いたことがすべてのきっかけなんです。
『自分の人生は一度きり』
みなさんも是非この魔法の言葉を唱えて、自分自身の人生がより輝く、喜びに満ちたものになるように…
Let’s 脱 都合のいい人
Let’s be 自分を大事にできるいい人!
お互いに頑張っていきましょう♥
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