失言して→後悔→自己嫌悪を繰り返している失言癖の君へ

「また変なことを言ってしまった…」
「毎回毎回変なことを言ってしまう」
「なんで自分はこんなにも進歩が無いんだ…?」

こんな風に落ち込んでいるあなた…

気持ち泣きたいぐらいわかります!!!!!(泣)

わたしも失言癖があるんです。

会話を盛り上げようと変なことを言ってしまったり、悪意なく言ったことがよくよく考えると超絶失礼だったり。

他人と会って会話する度に必ず変なことを言ってしまうので、毎回自己嫌悪で泣いてます。

そして誓うんです。

「もう二度と変なことは言わないようにしよう」とか「もう必要な事以外は話さないようにしよう」とか。

なのに、性懲りもなくまた失言する…。

わたし

学習能力が無さ過ぎて自分が嫌になる~

以前はこんな自分が本当に嫌で、失敗を落ち込んでくよくよしては相手に謝ったり、布団かぶって落ち込んだりしていました。

ところが、三年ぐらい前から少しずつ自分の『失言癖』との付き合い方を変えて、お決まりだった失言→後悔→自己嫌悪のルーティーンから徐々に脱け出すことができました。

今日は『失言して→後悔→自己嫌悪を繰り返している失言癖の君へ』というタイトルで失言について色々語っていきたいと思います。

何の参考になるかはわかりませんが、もし今ご自身の失言や失言癖に悩んでおられる方は読んでいただければ幸いです。

失言か否かは自分が決めることではなく相手が失言だと思うかが全て

遡ること2016年の夏、ある友人にいつもの如く失言をしてしまいました。

年中失言ばかりしているので、もはやその時の失言が何だったかのかも思い出せないんですけど…

とにかく、子供の学校の授業参観で変なことを言ってしまったのだけは覚えています。

例によって帰宅後には猛烈な自己嫌悪に襲われました。

故に友人に失言を謝罪する電話をしました。

何度も自分の失言についてお詫びを言うわたしに、その友達は電話越しこう言いました。

「何言われたっけ?」「てか、何の話したっけ?覚えてないや」

「失言されたと思ってないんだけど?それって失言じゃなくない?」

「言葉ってさ、相手が傷つけば失言だし、傷つかなければ失言じゃないんだよ」

「Aさんがダイエットしててさ、その友達のBさんが『アイスを食べに行こう』とAさんを誘うとするじゃん?」

「たとえAさんがダイエットしているって知らなくて誘ったとしても、Aさんが『わたしはダイエットしているのに…ヒドイ』と思ったらそれは失言になるし、『誘ってくれてうれしいな』と思えばそれは喜ばせる言葉になるじゃん」

失言かどうかを決めるのは自分じゃなくて相手じゃない?

「相手の価値観次第では何を言っても失言だととらえられるし、その逆もあり得るでしょ?」

だから失言しない人なんかいないよ。

わたしはこの言葉を聞いた時ハッとしました。「そうか…失言かどうかは、相手によって違ってくるのか…」と。

これをきっかけに、自分が悩み続けてきた失言癖について一度理論的に考えてみることにしました。

ここからはちょっとその理論的な失言の分析について、まどろっこしい説明が続いていきます。

人間誰もが失言しまくっている

同じ言葉が失言になるかならないかは相手次第

自分自身の言葉が自分が意図したこととは別の意味に受け取られ、人から誤解された経験ないでしょうか?

例えば、モデルの様にすらりとして人に

「背が高くて羨ましい」と言ったら、「背が高いの嫌で気にしてるのに…」と返ってくる。

純粋に自分は相手の長所を褒めるつもりで言ったことなのに、相手にとってはコンプレックスを指摘されたと受け取られるパターンです。

この場合、自分の言葉が相手を傷つけてしまう失言になるかどうかは、自分の意図とは全く関係の無い所に存在しています

背が高いことを気にしている女性が自分の悩みの種を相手に指摘されたと感じてしまえば、いくら自分が好意をもって相手を褒めたとしても相手を傷つけるという結果に終わってしまいます。

言葉の定義や意味、印象は人によってまちまち

自分はポジティブのつもりで発した言葉が、相手によってはネガティブに捕らえられる…

こういう事態が起こるのは、言葉の定義や意味、印象が人それぞれ違うことが理由です。

多分、今この記事も「わたしが意図したいこと」と「皆さんがどう受け取るか」には差があるでしょう。

言葉は色彩と同じで、皆同じものを見ているようで、実はわずかに違った印象やニュアンスが生じるものなわけです。

全ての人が傷つかない言葉なんてない

だから、極論言ったら何を言ったって失言になり得るってことです。

言葉を発した時点で、もうそれは人を傷つけたり怒らせたりするリスクを背負っている

どんなに精査を重ねた言葉だったとしても、自分の意図を100%伝えて相手に不快感を与えない言葉なんてないんです。

会話において失礼になるかならないかは相手の中にある『その言葉の意味合いや印象』に依存するわけですよ。(よほどひどい言葉を使うのは別として)

ということは、もうわたしたちは何を話したって失言する可能性があるわけですから、人を傷つけたり怒らせ無いには喋らないしかなくなってしまいます。

話さない人は失言しないが、正解ではない

じゃあ、もう失言しない為にいっそ何も話さなければいいんでしょうか?

わたしはそれが正解だとも思えないんですね。

というのも、わたしの知人のTHE・寡黙人達が損して生きているのを見ているので…。どうしてもあそこに答えがあるとは思えないんです。

彼らは本当に余計なことは一切話さない。話さないから勿論失言もしないです。

けれど、寡黙な人は得てして人に距離を感じさせます。

「何を考えているかわからない」
「仲良くなりたいと思うけど距離を感じる」
「信用できる人なのか出来ない人なのかもわからない」

他人からこんな風に思われるんです。

忍耐強く付き合っていれば寡黙人の良い所はちゃんと見えてきます。

でも、どれだけの人間が忍耐強くしゃべらない人に心を開き続けられるでしょうか?

大抵の人は耐え切れずに徐々にフェードアウトしていきます。

だから、どの寡黙人も『心が開ける人間』の数が少ない。

人知れず傷つくこともあるけれど、誰も彼らが傷ついているということすら気付いてもらえない(寡黙だから)。

喋らなければ人を傷つける心配はないし、失言して落ち込むことはありません。

でも会話が出来ないということは、人間関係・信頼関係の構築がうまく出来ないのも事実です。

寡黙な人が傷つかないか?、うまく生きているか?と問われたら、恐らく全寡黙人はNOというでしょう。

誰に対しても失言の無い人なんていない

結局、わたしたちは

『何をしても人を傷つけ・怒らせ、自分も傷つき怒りながら生きていくしかない』

これが結論なんだと思います。

変なことを言ってしまったと悩むのは、言葉を持った人間の性でしかないんです。

わたしの友達が言ったように、相手が変わればどんな言葉も失言になりうるわけです。

あの人もこの人も、偉い人もお金持ちも、菩薩のような人も、みーんな失言しながら生きている。

失言癖は『失言したことを気にする癖』

皆が失言しながら生きているのであれば、なぜ失言癖の人は落ち込んでばかりいるのでしょうか?

答えは簡単です。

失言癖は『失言したと気にしてしまう癖』でしかないんです。

端的に言うと、失言を気にするか気にしないかだけの違いです。

なんかこう言うと「心の問題」みたいに軽く片付けているように聞こえると思いますけど、それは違います。

これは個性だと思います。

『すぐ怒る癖がある』とか『覚えようと思ってもすぐ忘れる』とかみたいな、心の個性。

背の低い高いみたいな個性と差異がありません。

ただ、問題なのは、失言を気にする心の癖は本人にとって厄介で苦しいものということ。

失言したしない云々よりも、この苦しさの方が問題です。

失言したことへの後悔・自己嫌悪から早く立ち直る方法

長い話にここまでお付き合いいただいてありがとうございました。

というわけで、わたしたちは誰もが失言して生きている、それは変えられないんだよって話でした。

わたしはこのことに気付かされた時に、

『失言しないようにする』ことよりも『失言した時にどう立て直すか?』に問題をシフトする方が良いと気づきました

そこで、失言した時にどう立て直すか?をマニュアル化し(笑)、失言したと思ったらそのルーティンで対処することにしました。

お恥ずかしながら、ここからはその『脱・失言後悔&自己嫌悪マニュアル』(本当に存在する)の一部を抜粋して紹介してみようと思います。

明らかに傷つけたのなら潔く謝罪

例え自分に悪意が無かったとしても、顕著に人を傷つける様な言葉を言ってしまった場合は潔く謝罪します。

でも、ちょっとした「あの発言相手にとっては失礼だったかな?」くらいの事ならこの過程はすっ飛ばします。

謝罪するかしないかの判断基準は『自分が言われたら嫌なことだったかどうか?』

もし自分が同じことを言われて「相手に悪意はないだろうな~」と思えることだったら、自分が言った発言についても相手は大目に見てくれると信じるようにしています。

失言癖は自分の『弱点』だと受け止め、無くそうとしない

以前は失言する悪い癖(もしくは失言を気にする癖)を自分のダメな所だと思い、治さなければと思っていました。

しかし、これはうまく行かなかった…

治そう治そう、次こそはうまくやろうともがけばもがくほど、どんどん苦しくなって自分が大嫌いになっていきました。

否定して否定して、自己嫌悪して…何年もそれを繰り返しているのに変わらない。

それならば、いっその事無くすのを辞めてみたらどうだろうか?と。

もう、失言したり気にするのは自分の一部で変えられないと、逆に受け止めてみたんです。

「多分今後も何回も失言して生きていくと思う、そういう人だから」といい意味でも悪い意味でも諦めちゃったんです。

そしたら、もんのすごく気楽になりました

自分に改善を期待しない。向上を期待しない。

「一生懸命やってそれでまた変なこと言うなら、わたしはそういう人間なまで」だと思えるようになったら、落ち込むことはあっても酷く後悔したり自己嫌悪に陥ることがなくなりました。

失敗しても「また失敗しちゃった。いつものやつね」と、弱点が顔を出してしまったことを傍観できるようになったんです。

反省したら全力で別のことを三日間考える

以前は毎回

『失言による失敗→(謝罪)→後悔自己嫌悪

というパターンを辿っていたんですが、これを意識的に

『失言による失敗→(謝罪)→反省死ぬ気で別のことを考えるようにする

というルーティンに変えました。

後悔しても自己嫌悪になっても自分の失言は取り返せないので、

ちゃんと反省はする

そしたら、全力で失言した過去から目を背ける

以前書いた『小さなミスにいつまでもクヨクヨするそんな時に試してほしい立ち直り方法』という記事でも触れましたが、人間の脳みそは「前日考えたことと同じことを翌日も80%考えている」様に出来ているらしいので、翌日や翌々日に自己否定を持ち越さないためにも、敢えて失言したことではないことに目を向けるようにします。
小さなミスにいつまでもクヨクヨするそんな時に試してほしい立ち直り方法

テレビでも食べ物でも、買い物でもなんでもいい。

とにかく精神統一して好きなことだけに集中してください。

もし、失言した当日の思考の100%が自己否定と後悔だったら、翌日は80%がその繰り返しになります。

翌々日は64%、さらに次の日は51%と、何日経っても負のループから抜け出せません。

でも、自己否定と後悔の割合が当日50%なら、翌日は全思考のうちの40%の持ち越しで済みます。

翌々日は32%。次の日は25%にまで減っていきます。

まあ、これは数値的な話で実際の体感とは少し異なる部分がありますが…

大体三日間全力で目を背ければ、大概の失敗は忘れられます。

もし、今失言したことに落ち込んでいる方がいたら、是非試していただきたい。これ。

やらないよりやった方が断然引きずる時間が短くなります。

自分はあと10000回は失言するだろうと腹を決める

失言するたびに「またやってしまった」と落ち込むと思います。わたしもそうでした。

それは、前回の失言を最後にもう二度と失言はしないと誓っていたからです。

だから、あの日の誓いを破った進歩の無い自分にがっかりして落ち込んでしまうわけです。

でも、多分、わたしたちは次も失言するでしょう。(少なくともわたしは)

だったら、いっそのこと自分はあと10000回失言すると覚悟していた方が気楽なんじゃないでしょうか?

わたしはもう腹くくりました。

もう、逆らってもしょうがない。

その方が自分に対して理想を高く持ちすぎず、諦めがつくでしょう?と思うんです。

「次はちゃんとできる」と信じるから、「次はちゃんとやろう」と思うわけで…

それって自分に対して期待している証拠ですよね。

自分に期待すること、自分の改善を諦めないのは素晴らしいことです。

でも、もがいて苦しくて生きにくいなら、いっその事自分に期待するのを辞めてしまうことも手だと思います。

結果それで楽になるのであれば、、どちらが正解とかないですよね。

おわりに

想いはものすごく沢山あるのに、こうして書きあがってみると自分の伝えたかったことの1/100すら表現できていない稚拙な記事になってしまいました。

読んでいて理解が出来なかったり、それこそ見てる皆さんにとって「失言だ」と感じさせたりする表現が多々あったかと思います。申し訳ない。

こうして文字にして書いてみると、やっぱり『失言癖』って一言で片づけられるほど簡単な事じゃないと改めて感じます。

わたしもいまはこんな風に明るく書いていますが、やっぱり今でも失言した時は震えるくらい焦ってどん底まで反省します。

失言して落ち込むのって本当に厄介な性質です。

文中でも散々力説した通り、自分の言葉の受け取り方は相手に依存するので変えることはできません。

ポジティブに受け取られればセーフ、ネガティブに取られれば失言になるでしょう。

ただ、何かを発言する際、一つだけ自分でコントロールできることがあります。

それは、失礼な発言を意図的にするかしないかです。

これの有無がその発言が『意地悪』になるか『失言』になるかの違いなわけで。

もう、わたし達発言者側には「意図的に人を傷つけないように気を付ける」しかできません。

これが、発言者に出来る最大の誠意です。

後は、受け取り手任せになってくるわけです。

わざとじゃないんだから失言しても落ち込むな!とは言いません。それが出来れば苦労しないですよね。

ただ、失言することは辞められないし、失言して落ち込むのを辞められなかったとしても、

『自分は悪意を持っていたわけではない』ことだけは貫いて、自分自身で認めてやる必要もあると思います。

失言癖に悩んでいるみなさん、どうかこのことを忘れないでください。

失言をしてしまった(もしくは失言かもと思うような発言をしてしまった)『結果』だけでなく、失言しようと思って話していなかった『過程』も同じ事実として大切にしてあげてください

相手の受け取り方一つで言葉のニュアンスが変わってしまうような不確かな世界の中で、自分自身の発言意図だけは自分にとって事実なわけですから。

傷つきながら、反省しながら、後悔しながらも、人を傷つけまいという心の誠実さを大切にしていくしかない。

それが失言癖族ができる唯一で最大の一本筋だと思います。

 

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