自分を好きになるには自分を好きになれない自分を否定するのをやめよう

Jade

こんにちはヨガインストラクターのJadeです。

突然ですが…

皆さんはご自分のことが好きですか?

記事のタイトルが『自分に自信を好きになるには自分を好きになれない自分を否定するのをやめよう』なだけに、多分今この記事を読んでくださってる方の答えは『NO』なんじゃないかな?と予想しています。

多分みなさんは「自分を好きになりたい」と思って、インターネットに答えを求めて検索されておられるのでは?と思います。

自分を好きになるって出来ない人にとっては本当に難しい…

自分を好きになれないと自己否定が増えるし、自己嫌悪の繰り返し、自分に自信がなくなって心も体もうつむきがちになってしまいます。

自分を好きになれないのってすごく苦しいことですよね?

実は…わたしも皆さんと同じで数年前まで自分が全く好きではありませんでした。

今でこそちょっとだけ自分を好きな自分になったものの、実は長い人生の大半は自分が大嫌いでした。

でも、数年前のある時『あること』ができるようになったら、ほんの少しだけ自分のことを受け入れて心が軽くなりました。

そのあることとは

『自分を嫌いな自分を否定するのをやめたこと』
『無理に自分を好きになろうとするのをやめたこと』

たったこの二つだけです。

今日のこの記事ではわたしの体験談を交えながら、『どうしたら自分を好きになれるのか?』についてちょっと考えてみたいと思います。

今、自分が好きになれなくてモヤモヤしている方はちょっとだけお付き合いいただければ嬉しいです。

自分を好きになれないのは悪いこと?

そもそも、なぜ皆さんは「自分を好きになりたい」と思いますか?

自分を好きになったら自信が持てそうだから…

自分を好きになった方がいいと人に言われたから…

変わりたいから…

多分人の数だけその人なりの理由があると思います。

ちなみにわたしが自分を好きになりたいと思っていた理由は

周りに「そんなに自分を卑下すんなよ~」とさんざん言われたり

本で「自分を好きになりなさい」的な啓発を読んだり…

自分に自信がないのは自分が好きじゃないからだと思っていたり…

とにかく

「自分というのは好きにならなきゃいけないもんなんだ!」

自分を好きになる=正しいこと

って思いこんでいたからです。

だから一生懸命自分を好きになろうと努力しました。

でも、好きになろうと思ったから好きになれるもんでもなく…

自分を好きになろうとすればするほど、出来ない自分に焦って焦って焦って。

『うまく自分を好きになれない自分』に腹を立て、更に自己否定を繰り返し、ますます自信をなくしてしまいました。(本末転倒だ~)

がんばってがんばってがんばってそれでも自分を好きになれない自分に疲れ果てたある日、こんな疑問が湧いてきました。

何で自分を好きにならなきゃいけないの?

自分を好きじゃないって悪いことなわけ?

トマトやニンジンが嫌いな人がいるのと同じで、自分を嫌いな人がいたっていいじゃないかな?

よくよく考えてみたら、別に自分のことが嫌いということに善悪なんてないんだということに気付きました。

だって、自分が好きじゃなかったからって他人に迷惑かけるわけでもないし…

まあ、そりゃ自分を好きになれないと自分自身はしんどいこともあるけど…

絶対好きにならなきゃならない法律があるわけでもない。

言ってみれば『自分を好きになれない自分』はある意味性格の個性でなわけですよ。

個性に良いも悪いもないもの。

自分を好きな人と自分を好きになれない人、どちらが優れているわけではないはず。

よく考えたら、自分を好きになる必要性なんてどこにもないんじゃない?

自分を好きになった方がいいなんていう価値観自体がまやかしなんだということに気付いたんです。

『自分を好きになる』という作り上げられた理想を追い求める必要はない

「自分を好きになれたら得か損か?」

得か損かだけ考えたら…多分だと思います。

自分を好きなら自分に自信がもてるだろうし、自分のことを非難しない分楽だと思うし。

でも、「自分を好きになるのが正解なのか?」と問われたら、そこに正解・不正解は無いと思うんです。

と思うんです…ではないくて、無い!断言します。

さっきも言った通り、そんなのは個性の問題でしかないわけですよ。

ところが、なぜか世間様は『自分を好きになる』肯定派なんですよね。

本屋に行けば「自分を好きになろう」とか「自分を認めてやろう」と啓発本の表紙が叫んでいる!

友達・先生・親は「自己否定しすぎだよ、もっと自分を大事にしなきゃ!」なんてアドバイスする!

SNSは自分が大好きなリア充投稿でキラッキラキラッキラしてる!

こうしてわたしたちは、知らず知らずの間に『自分大好き性善説』によるプレッシャーを受けながら生活しているんですよ…。

これって、自分を好きじゃない人は激しく劣等感を感じてしまうし、間接的に否定されているように聞こえませんか?

自分を好きになれ=モデル体型になれ と言っているのと同じ

自分を好きになれというのは、極論言ったら「モデルと同じ体形になれ」と言っているのと同じです。

「自分を好きになろう」という価値観だけがもてはやされて、皆がそこに向かおうとする。

細くて美しい人に憧れてみんなが無理なダイエットをしているのと似ていませんか?

「自分を好きになろう」というのは、こうであったら理想的と思われる象徴の姿でしかないんです。

言ったら、凡人にミランダカーみたいになれって言っているようなもんですよ。

簡単にできないから、難しいことだから人々は高い目標として追い求めるんです。

難しいことだから、関連啓発本は売れるし、出来ている人の生き方がもてはやされ、SNSでみんな表面上リア充に見せかけることに必死になる。

だって、皆が当然にできることだったら『自分を好きになれ』的な考えにこんなに悩まされることはないし、『自分を好きな人』はこんなにももてはやされないでしょう?

自分を好きになれる人はレアな人です。おめでとう~。

自分を好きになれないのはむしろ普通のことなんですよ。

否定もせず肯定もせずただ『自分を好きになれない自分』を傍観する

冒頭でわたしはヨガインストラクターだと自己紹介させていただきましたが、ここからはすこしヨガインストラクターらしいお話をしていきたいと思います。

同じ冒頭で、わたしのちっぽけな経験の中の『ちょっとだけわたしを好きになることが出来た』経験に触れて、そのカギは『自分を嫌いな自分を否定するのをやめたこと』『無理に自分を好きになろうとするのをやめたこと』の二つにあったという話を少しだけ紹介しました。

良いとか悪いとかいう価値観で自分を判断しない

そもそも善悪なんて人が作り上げた尺度でしかないですよね。

そのわたしたちが当たり前だと思っている善悪の尺度は、人が変わり、年が変わり、住む国が変われば、全く通用しなくなる。

どんなに近しい人でも誰一人同じ価値観で物事を判断している人はいないはずです。

言ってみれば、わたしたちが「これが善い」「これが悪い」と思っているものは、あくまで”ごくごく限定された人(ほぼ自分だけ)が考える基準・物の味方”であり、それが絶対的に正しい価値観とは言い切れないのです。

そんな不確かなことで自分自身を判断し、評価づける必要はどこにもないと思いませんか?

そんなあいまいな正しさの価値観に左右されて、「自分を好きにならなくてはならない」と焦ったり、自己否定したりする必要はないんです。

肯定もせず否定もせず、自分を好きになれない自分を認識すると楽になれる

ヨガの教えの中に是非皆さんに知ってもらいたい価値観があります。

それは『否定もせず、肯定もせず、ただあるがままの自分を傍観する』というもの。

意味は言葉のままです。

自己否定も肯定もしないで、ただ自分という人間が感じているものをそのまま見守るということです。

是非皆さん否定も肯定もしないで

”自分が好きじゃない自分”をそのままただ捉えて分析してみてください。

どうやってやるのか?というと…

誰かに自分に関係のない話を聞いた時に「ふーん、そうなんだ~」とただ聞いている、あの感じです。

否定も肯定もしないでただあるがままに、『自分を好きになれない自分』の悩みを「ふーん、そうなんだ~」と受け取ってみてください。

そうするとどうなるのか?

「自分は自分が好きになれない」

「ふーん、そうなんだー?」

はい、終了~。

……

……

え?おわり?

そう、肯定も否定もせずただ眺めると『自分を好きになれない問題』はそれ以上に深くはならないんです。

しんどくて苦しくなることも、自己嫌悪に陥ることもない。

ただ、『自分を好きになれない』自分がそこに存在する。それ以上でもそれ以下でもない状態になります。

勿論、その場でこの問題が解決することも無いわけですから、いくらかの人は「そんなことして何の意味があるの?」と疑問に思うかもしれません。

でも、だまされたと思ってちょっとやってみてほしいんです。これ。

自分の抱える問題をただ傍観するだけで、人というのは驚くほどに胸がスッと楽になるんです。

流れに任せて『自分を好きになる』

不思議なもので、それまで自分が抱えていた悩み事を俯瞰してみられるようになると、何か一つ皮がむけたような感覚になります。

新しい自分、生まれ変わった自分、何かを得た自分

そんな感覚が生まれてきます。

そこから、むくむくと「悩んでいたことを乗り越えられた」という充実感が湧いてくるようになります。

そうなればしめたもの。

一つだけ自分の中のコンプレックスやストレスが減り、それが小さな自信につながります

『自分を好きになれなくて悩んでいた自分』が『自分を好きなれなくて悩むのを辞められた自分』へとレベルアップするからです。

あとはこれを繰り返していくだけ。

『自分の容姿が好きになれない自分』

『昔してしまった失敗』

『友達を羨む卑しい自分』

などなど様々な自分のコンプレックスになっているところを、俯瞰して傍観して、自分という大きな海の一部として吸収していきます。

それを繰り返していくと人間としての経験値が少しずつあがり、気が付いた時には自己肯定力が強くなっています

自分は勿論人のことを否定しなくなり、以前よりずっと柔軟な価値観と懐の広さを得られているでしょう。

自分にも人にも優しさが生まれてくるのです。

すると、いつか気が付いた時にはそんな『自己否定をしない自分』を好きになっている。

そんないつかがやってくるのを待つだけで大丈夫です。

今日明日「自分を好きになるぞ」と努力をしなくても、流れに任せていれば自然と自分を肯定する(好きになる)感情が生まれてくるはずです。

おわりに:誰かの考えた価値観に自分を当てはめようとするほど人生は窮屈になる

わたしの経験談に少し話を戻すと、この『自分自身を傍観するようになった瞬間』から少しずつ自分を好きになり始めることが出来ました。

というか、ものすごくこころが楽になりました。

人に寄っては「向上することを辞めただけだ」と非難する人もいるかもしれません。

でも、さっきも言ったけれど、別にわたし自身の自己肯定力が低くても、誰かに大きな迷惑がかかるわけでもないじゃないですか?

逆を言えば、わたしが自分を好きになろうと努力して、何らかの方法で何とか自分を多少好きになっても…誰かが幸せになるわけでもなく。

単に、自分自身の問題でしかないわけです。

自分を好きになろうと努力してくるしいのなら、いっそやめてしまえと思います。

それを非難したり、怠けだと思わせたり、『特定のある一つの価値観』だけをもてはやす世界が、言ってしまえば浅はかなだけなんです。

わたしたちが理想とするある一つの価値観や考え方は、『どっかの誰かが言い出したごく一つの考え方』でしかないんです。

人の数だけ十人十色ある価値観を、たった一つのだれかの考え方に揃えようと思うことの方がナンセンス極まりない。

それこそが、人生を窮屈にしてしまうのです。

あなたから生まれる感情はあなたにとっては真実で、正誤なんてまったく存在しません。

どうか自分を好きになれない自分を否定しないでください。

そして、自分自身であること恐れないでください。

もがくことを辞めたとき、もしかするとそれまでとは全く違った世界が見えるかもしれませんよ。

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